映画「ジョーカー」を見てきた:今の社会秩序に例えてみた
ジョーカー(映画)を見てきた。
一般的には社会的弱者が運にも見放されて、「無敵の人」論となど様々な話題が出ているが僕は、単純に「秩序とは何か」を唱えただけじゃないかと思った。
現実にジョーカーが出ないようにするには「今の秩序の疑問を持たせない」ことさ
よく社会福祉の必要性が訴えられてるけど、あの映画からはその重要性はないと思う。
実際、あの映画の中でカウンセリングを始めとする社会福祉は役に立っていたかどうかを考えれば分かると思う。
単純に僕らの考える「善悪」を基準とした「秩序」そのものに疑問を持たせないのが重要、ということさ。
秩序は「ただの命の選別」でしかない、その事例
現実に置き換えたとして、秩序が単なる「命の選別」でしかないこと、ちょうど「今」なタイミングで良い事例がありますね。
池袋の暴走車事故、飯塚氏の起訴はまだ「上級国民」騒動
news.tbs.co.jpちょうど半年ということで。「死者2名、重傷者10名」の事件ね。
事故の飯塚氏起訴はされていない。
一方で数年前に発生した池袋の暴走事故は3ヶ月後に「求刑8年」で起訴されている。
こちらは「死者1名、重傷者4名」。
どうして差が出てくるの?に秩序の答えあり
ちゃんとした説明がない以上、「それが秩序(命は選別される)だからさ」しかない。
被害者に加害者を起訴する権利なんてないから(秩序!)
起訴できるのは検察だけ。
それともう一つ、略式起訴(罰金刑100万円以下のみ)で決定された場合、被害者がその決定に異議を唱える権利なんてないから(秩序!)
複数名から激辛カレーを目に入れられたり、暴行を受け続けても罰することができないのも秩序かもね。
多分、僕を含む他の人が同じことやったら起訴されて犯罪になりますが。
それも、命の選別と同じで「ぶっちゃけお前が死のうがどうなろうが知ったこっちゃない」という秩序があるわけです。
ジョーカーは風刺のブラックコメディ?
そう考えると、あれって社会風刺のブラックコメディな気がしてきた。
まさしく「主観で見れば悲劇だが、客観で見れば『喜劇』」
さぁ、善良たる僕らは、一般の秩序を守りましょう~