祖父が亡くなったのでお通夜、線香の番
祖父が急遽亡くなった。
自殺未遂して、なお元気だったのに、突然、亡くなったという連絡が来た。
— だいじん@ブロガー? (@daij1n) 2019年2月5日
死因は詳しく聞いてないけど、そもそも元気な時は明日生きる気力が必要なんだなぁ、と思った。 https://t.co/lGa5XG5N3p
お通夜の後なので、線香を絶やさず番をしなくてはならないが、親が別部屋で寝てしまったので、ご遺体と二人きりになった。
なので、感情を研ぎ澄ましてこの記事を書いている。
お通夜の受付と締めの言葉
当日、簡単なお香典のやり取りの流れなどを聞き、受付をしていた。
しかし途中、人が思った以上にやってきた(といっても、20~30名ぐらいだが)という理由により、お通夜開始直前で「締めの言葉を言いたくない」という形になり、僕が挨拶する流れになった。
なんとなしに、僕は何かの、くじを引き当ててしまう運命にあるらしい。
当然、すらすらとはいえずに、少しどもりつつ挨拶をした。
僕の感情のほうもお通夜状態だった。
初「ご詠歌」
お通夜の途中、僧から「ご詠歌」が歌われた。
さすがにいくつか、お通夜の経験のある僕も、「ご詠歌」を聞いたのは初めて。
ほぼほぼアカペラに近いが、すばらしい歌声に驚いた。
聞くと、けっこうその道では有名なお坊さんらしい、とのこと。
お通夜の晩は、線香は絶やさない建前ではあるが、さすがに寝てもいいらしい
一部の地域や宗教では、寝ずに番することもあるだろうが、聞くところによると、さすがに寝てもいいらしい。
たまに空気清浄機が「ぽこぽこ」なるんで、ちょっとびびるわ。
今のところ、20~30分で取り替えてるわ。
もう少し長く持つ線香にしてほしい
斎場ではホテルのようなWIFI欲しいね
僕のようなケース以外でも、仕事柄、線香の番するときにWifiを使いたい人は多いと思う。
どうかwifi設置型斎場も増えてほしいと思う。
人生:死んだ時に楽しい人生だった、と思える人はどのぐらいいるんだろうか?
今、生と死について考えられる状況にいる。
もし、自分が死ぬとしたら、僕の人生は楽しいと自ら言える人生なのだろうか。
そう言える人は多くいるのだろうか。
仮に現在、そう言えない状態にあったとして変えることはできるのだろうか?
楽しいと思いたい人生ではあるが、とはいえ、難しいことが多すぎる。