「たぶんあの頃の初音ミクは戻らない」を見て、既にあの頃のミクは消えていたと思った
はてなブログで「初音ミク」の記事が話題になっていた。
僕はニコニコ動画で「歌ってみた」が流行り出した頃に登録し、初音ミクは発売前にイラストレーターを中心に話題になっていた頃から知り、見るようになった。
まだニコニコ動画が「会員番号順にアクセスの時間制限」を設けていた時代だった。
元々、「最初期から初音ミクを追っていた人達は2010年ぐらいからボカロ曲を一切聞かなくなった説」をなんとなくイメージしていた。
初音ミク発売直後、当時の熱狂時「初音ミクは存在しない」と感じた人はいたか?
問題は次の感覚である。
ボカロが流行ったゼロ年代から2010年ちょっとまで、初音ミクは未来の存在だった。彼女は現実の人ではなかった。ファンタジーの人だった。
……
少なくとも発売前から注目し、発売後しばらくボカロを追いかけていたファン層と、だいぶ違うな、と思った。
初期:この子を実在させようと奮闘していたあの頃
それは少なくとも当時のファンの様子や、ボカロP、その他クリエイター(特に3D)の様子から、誰しもが「初音ミク」を実在させようと奮闘していた時期であったと思う。
当時、ボーカロイドに関する熱狂は何か、と聞かれれば僕はこう答える。
「本来実在しえない者が、さも実在するようかの振舞い、それを音楽を通じて感じるリアル」
だったと思う。
最初期の名曲「恋するボーカロイド」投稿時のコメントより
カバーではなく、最初に話題になったミクオリジナル曲「恋するボーカロイド」が投稿時、その当時の一つのコメントを今も覚えている。
「誰か、この曲を「歌ってみた」してくれ!」
(もしかしたら、テキストはちょっと違うかもしれない)
当時ニコニコで流行っていた「歌ってみた」。
誰かが歌うことで本来存在しない「初音ミク」がさも実在しているように見える、その期待かもしれない。
魂実装への模索:何がなんでも初音ミクを躍らせたい人たち
当時はMMDなんてなかったので、各々がミクを躍らせようと色々と工夫を凝らしていた。
そして後にMMDが実装され、まるで本当に生きているようだ、というコメントから「魂実装済み」というタグが生まれた。
ボカロPへの称号「伝説の〇〇マスター」そして「神調教」タグ
当時、さも人間のように歌わせるようなレベルの調整をしたマスターには専用のタグが作られていた。
動画は伝説のKAITOマスタータグ常連の「根気Pさん」
こうしたムーブメントが少なくとも、2010年まで存在しえていたと思う。
初期の名曲「メルト」の作者ryo(当時)のコメント
どこで言ったコメントかは分からないが、同じく初期に大ヒットした「メルト」の作者のコメントにも、初音ミクの実在性を伺わせる一文がある。
「初音ミクの楽曲はニコ動上で人が歌うのは構わないが、初音ミクで書いた曲は初音ミクの曲であって他の誰かが歌うためのものではない」
2010年以降の従来ファンの激減とファン層の移り変わりについて
ボカロファン層において「2010年を境に、大きく変わった」となんとなく感じていた。
特に統計を取ったわけではないが、たとえば現在のボカロ系のDJイベントとかで「最近の曲を知らない人向けのラインナップ」として「2010年」で区切られることがしばしばある。
『ボカロ懐かしいなー、しばらく聴いてないなぁ…』
そんな貴方の為の曲達を、主に2010年までのラインナップで本日もご用意させて頂きます。5月6日(日)ボーカロイドオンリーDJ Party [ Three-Nine ]ver.03 | 四国・愛媛のアニクラ・アニソン総合イベントニジゲンフリークス
例えるならこんな感じで。
(都内周辺のイベントでもあった気がするが、見つけられなかった。)
イメージ的には
「だいたい、最初っから聞いてる人って2010年ぐらいからボカロ聞かなくなったよね」
という感じだろう。
ボカロ熱狂初期の人達に、この感覚は受け入れられるだろうか?
改めて、「たぶんあの頃の初音ミクは戻らない」の記事の言葉を引用する。
「ボカロが流行ったゼロ年代から2010年ちょっとまで、初音ミクは未来の存在だった。彼女は現実の人ではなかった。ファンタジーの人だった。」
彼女を実在性を証明するために熱狂していた世代に、こうした感覚は馴染みがないだろう。
おそらく、この感覚のギャップが物語っているんだと思う。
しかし、残念ながら「実在しえぬものを、さも実在するかのごとく熱狂していた当時の人達」というのは、今やボカロファンからも認知されない絶滅危惧種レベルの存在で、当時のコメントやタグなどで、その痕跡が見られるのみになったんだなぁっと、今回の記事で強く思った。
老人は、かく語りき。