田端民は映画:天気の子に溢れるロマンを見出した
新海誠監督の話題作「天気の子」を、ガラになく久々に映画館で映画を見た。
僕が住んでる田端が重要な舞台にされているらしく、興味があっていってきた。
本当に昔のエロゲっぽいのか?溢れるロマンを考察
僕はこの物語に、とてもロマンを感じた。
- 大きな現実の中にある小さなファンタジーが主役
- 主人公達の自立、自分で生きようと社会に立ち向かう姿
ここでいう「小さなファンタジー」は、ストーリーの舞台が現実の舞台であり、あまりに現実部分が多くて当人以外がその話を聞いても全く信じてもらえないであろう形のファンタジーを示す。
もう一つは自立し、自分の力・足で生きようとする主人公達の姿。(たとえ、それが社会の枠組みから外れようとも)
これらがまざりあい、冒険心と共にロマンを掻き立てられてしまう。
「泣きゲー」「シナリオゲー」の先駆者と呼ばれた「ONE ~輝く季節へ~」も、まさにそんな感じのゲームだった。
参考文献
山手線1地味な駅と称させる「田端駅」は聖地化なるか?
田端駅の南口はここの映画では重要な舞台に出てくる。
しかし、この記事で紹介した通り、目の前に葬儀屋があるだけの、何もない駅である。
田端駅南口改札は山手線唯一の窓口のない無人改札なのだ。
しかし、このことが僕が今回、映画館でこの映画を見に行こう、と思ったきっかけになったのだ。
都心にありながら、喧噪がなく、都心っぽくない。
それがある意味魅力で、重要な場所に選ばれたのかもしれない。